業界で働く: 2006年3月アーカイブ

契約書の話

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一応、作家でありながら会社の社長でもある私は, 社員の仕事に関する契約書に目を通す。 (だいぶ溜めてしまって、よく怒られる) 相手は「大手」と言われる所も多く、そんな所の契約書なら、 安心して印を押せそうだが、そう簡単にはいかない。 以下、私が経験した例を。 ・著作人格権の譲渡 これが、かなり多い。 大手でも、いまだに記載している所がある。 著作人格権とは、簡単に言うと、「私が書きました」ということで、 著作財産権(作品で商売します)と違い、譲渡が法律で禁止されている。 法律で禁止されているので、もし契約書に記載されていても、 裁判になれば契約自体が無効になると思われる。 相手としては、買い取りの作品などでは、「全部の権利」というつもりで記載しているのだろうが、物事はそんなに簡単ではない。 ・オリジナリティの保証 他者の著作物の権利を侵害していないことを契約書で保証しろと言う。 これは、基本的には正しい。 だが、オルフェでは以下の例外を作ってもらっている。 「原作が存在し、原作そのものが他者の著作を侵害している場合」 「製作発注者の指示にそった結果、他者の著作を侵害した場合」 この条項を足しておかないと、原作のミスや発注者の意見を取り入れたことで、 こちらが責任を負わされることになりかねない。 ・指定裁判所 もし契約書に記載された以外のことで紛争となった場合のために、 大抵、「そうなったらここで争います」という裁判所が指定されている。 普通は、東京。 だが、ここで注意しておかないと、海外の裁判所が指定されていることが、たま〜にあるのだ。(私はオーストラリアを見たことがある) 海外の裁判所では、行くのに時間もお金もかかる。その上、当事者への出頭命令が届かないこともあるようだ。 もし裁判当日、その場にいないと、その裁判は無条件で負けになる。 ・見本、広告の除外 大抵の商品は、商品数×印税率でお金が支払われる。 だが、作った商品がすべて売られるかと言うと、そうではなく、 見本として関係者に配られたり、広告(宣伝)のために、 関係媒体に配られたりする。 この数が明確になっていない契約書は要注意。 明確でも、数が異常に多いのも問題だ。 一割なんて珍しくもなく、 ひどいのになると、生産数の二割が見本なんてことも。 (一割でも、見本として配りきるとは思えん) ・支払いの免除 印税とは、ヒットすれば莫大な金額になるが、ブームをすぎれば極端にすくなくなる。 たとえば「一年で、数回、カラオケで歌われた歌詞」の印税がはいったりする。 何十円だ。 これをいちいち振り込んでいたら、印税を管理している会社は振り込み手数料だけで大赤字だ。 そこで、一定金額に達しない場合、次期へ繰り越す。という契約もある。 気づくと10年近く振り込まれていない印税があったりする。 印税の計算書は、毎年80円を使って郵送されてくるので、 かえって早めに払ってしまった方が相手にとっても良いのではないかと思う。 そこで、過度な繰り越しはしないようにしてもらっている。 (会社のシステムで決まっていて、オルフェだけ変えるというのが通らない場合もある) 以上のように、よく見ないと、とんでもないことになる契約書だが、 無闇に怖がってもしかたない。 知り合いの作家は、海外版の契約書を「よく分からない」という理由で、サインしておかなかったために、海外版が発売されなかった。 (これには、余談があって、この作家が同じ出版社の別の作家の本に寄稿した原稿も、「この先生は海外が嫌いなんだ」と思われて、外されそうになった) とにかく勉強。 それしかない。 追加のお願い メールをくれた人がいますが、添付ファイルがついていたためにはじかれました。 もし重要なメールなら再送信してください。 ウイルスなら、もう送らないで良いですよ。

私の修行時代2

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なんか、前回は、ぜんぜん私の話をしませんでした。 タイトルに偽りありですね。 今回は、本題に。 編集の仕事は、いろいろ覚えることの多い(しかも付き合いのある会社の数だけある)のですが、前の会社の上司は、まったく新人に仕事を教えてくれない人でした。 超放任主義です。 ですが、放っておかれても、困ります。 しかたがないので、ひたすら聞きました。 上司はもちろん、相手先の会社でも。 あとは、ゴミあさりです。 上司が捨てた「ラフ」や「原稿」などを拾って、そこから技術を盗むのです。 皿洗いが、洗う前に、先輩の作った料理の皿に残ったソースをなめる。 そんれと一緒です。 実際、これはとても効果的でしたね。 先輩が出すゴミは、私のお宝でした。 これに気をよくした私は、 自分が新人の教育担当になった時、同じことをやらせようとしました。 もちろん、わざわざゴミを拾わせるのはバカげてるので、 使い終わった仕事のゴミを全部新人にあげたのです。 「これを見て勉強して」と言って。 ですが、結果は期待とはまったく違ってました。 そこから仕事の情報を読み取れる新人がいないのてす。 「わからない所があったら聞いて」 そう言っても、質問してくる人は、ほとんどいませんね。 「最近の若者は」などと世代のせいにしたくはないのですが、 どうも「教えてもらう」ことに慣れている人が多いようです。 「教えてもらわないと、どこが分からないのかも、分からない」 そんな感じです。 関係ないかもしれませんが、 ゲームをプレイする時に、攻略本を見ながらやる。 そんな人たちでしたね、みんな。 ちなみに私は攻略本は(自分ではかなり作りましたが)、見ません。 それより説明書を見ます。 ゲームも家電も、説明書を見ないで、手を付けることはありません。 これは、「取り扱い説明書をみなかったせいで、やるミス」を恐れているからです。 まあ、これは前記した話とは関係ないですね。 少し関係あるとすれば、その恐れが、放任主義の上司とあいまって、ゴミを拾ってでも勉強しないといけないという脅迫観念につながったのかもしれません。 いきなり話をまとめますが、 業界を目指す人には、 「教えを待つ」のではなく、 「教わりに行く」姿勢が必要です。 「何が分からないのか」を理解することは、 「答えを知る」上で避けられない道なのです。

私の修行時代

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アストレイの話は少しお休みします。 あまりつづけると、私が飽きてくるので。 3月8日のメモにある「私の修業時代」について。 前記したとおり、オルフェを立ち上げる前は、 別の会社におりました。 そこは、オルフェのように作品を作ることはすくない、 基本的に「編プロ(編集業務のプロダクション)」と呼ばれるような会社でした。 私の仕事も、当時は、雑誌の記事がメインです。 当時、小さい仕事をいくつもの会社から受けていたので、とても大変でした。 なにが、大変かというと、会社がごとに流儀(やり方)が違うのです。 出版社に入社した人なら、その会社の流儀(やり方)をひとつだけ覚えればよいのでしょうが、外部の人間である私は、取引相手に合わせる必要があります。 これがもう大変で。 原稿の赤入れから、入稿の仕方まで、ぜんぜん違うのですよ。 しかし、「私のやり方はこうだ」なんて、言える立場にありませんから、 ひたすら覚えました。 ここで、業界を目指す人にひとつアドバイスを。 業界に入るための勉強をさせてくれる専門学校がありますよね。 もし学校に行った方が、業界に入ってから、役に立つだろうと思っている人がいるなら、一言注意しておきます。 私は「まったく役に立たない」と、思ってます。 前記したように、「やり方」は千差万別なのです。 ところが、専門学校を出た人は、「学校ではこう教わりました」と、 言いはってなかなか仕事を覚えてくれないことがあるのです。 新人を教えていて、そんな経験を何度もしました。 たしかに高い授業料と時間を費やして、覚えたことですから、 否定されたくないのは理解出来ますが、 そこで意地になっても、デメリットしかありません。 結局、前の会社やオルフェでも、専門学校から採用した人はいましたが、 「使える人」も「長続きする人」もいなかったとだけ、記しておきます。 あと、専門学校の生徒をとると、毎年、「今年もお願いします」と あいさつに来られるのも、うざったいです。 アニメのテレカをお礼に送られてもな〜。

業界人として、うれしいこと

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昨日のサインの話の補足。 仕事のスタッフが、記念の意味をこめて「本にサインをください」と言うのは、私は問題ないと思ってます。 それは、プロ同士の仕事の記念ですから。 私が問題としているのは、「プロがファンになってしまう」ことだけです。 今日は、仕事していてうれしかった話をしましょう。 ※ある意味、これも業界人の特権の話です。 自分が熱意を込めてやった仕事が、人に認められるのは、うれしいモノです。 特にその仕事が、あまり目立つものではなく、ひっそり公開されたものなら、なおさらのこと。 実は、前の会社にいた時に、B社の模型情報の編集をしていました。 (私はライターの一人で、メインの編集は「エヴァを作ったアニメ会社の前身」が担当していました) この時、私はSDの作例ページと、東映の情報ページの担当でした。 当時の東映作品には、「黒いバイク乗り(実写)」や、「驚き男(シールも人気)」、そして「星矢」がありました。 私は、「星矢」の大ファンでした。 ※会社の黒田と一緒に同人誌まで作っていました。 アニメの「星矢」には、スチールセイントというオリジナルキャラが登場します。 彼らは、科学の力で生み出されたクロスを身にまとい、他のセイントたちと、共闘するという設定でした。 ですが、分子を砕く破壊力を持つセイントと、どうして対等に戦えるのか、その説明はありませんでした。 当時から設定マニアだった私は、個人的にその原理を考えてみました。 (詳しい内容が知りたい人は、当時の模型情報を探してみてください) 完成したものは、完全に趣味のものでしたが、編集部で披露したところ、大変好評で、「なんとか誌面に出せないか」という話になりました。 そこから、各所に掛け合い、なんとかこの設定をオフィシャルなモノとして模型情報に掲載することが出来ました。 (この時は、いろんな人の協力を得ました。ジャンプ作品で東映アニメですから、そのハードルがとてつもなく高いのは、業界の人なら理解してもらえると思います。 これは非難しているのではありません。彼らが、ブランドを守るプロだということです) 「星矢」は人気作品でしたが、アニメオリジナルのスチールセイントは、それほど人気がありませんでしたから、記事も注目されることはありませんでした。 ですが、その記事が掲載された年の模型の即売会イベントでのこと、 一般サークルの方が出した「星矢」の同人誌を手に取った私は、びっくりすることになりました。 なんと、模型情報の私の記事が、そのまま転載されていたのてす。 「奴らにこんなステキな設定があったのをキミは知ってるか!」 と、キャッチフレーズが付いてました。 これは、本当にうれしかったですね。 細かいことを言えば、版権無視のコピー行為なのですが、 「私の記事を気に入ってくれて、それを広めようとしている人がいる」 そこに感動しました。 この話には、さらに後日談があります。 つい先日、「スターゲイザー」の打ち合わせでのことです。 宇宙航行の技術を武器に転用する話をしていた所、突然スタッフの一人が 「スチールセイントって知ってますか? あのクロスはブラックホールを攻防に使ってるんですよ」 と、話しはじめたのです。 そう、それは私が模型情報で発表したスチールセイントの設定だったのです。 驚きました。 記事を書いてから十年以上がたっているのに、それを覚えていた人がいたとは。 本当にあの記事を書いて良かったと思いました。 単行本が売れたり,おもしろかったと言ってもらうのもうれしいですが、 小さな記事が評価されるのは、それとは違う、別格のうれしさがあるものです。 今にして思うと、「見た作品の設定を考える」というのは、今の「アストレイ」の仕事にも確実に生かされています。 「アストレイ」で発表した裏設定のほとんどは、森田さんや吉野さんが考えたモノですが、一部は私の方から「これは、こういうことなのでしょうか?」と提案し「それ採用」となったものもあるのです。 業界にいると、こんな幸せもあるという話でした。

業界人の特権「有名人に会える」

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業界人は、業界人に会える。 これは、あたり前のことだ。 中には、業界に入る前にファンだった先生に会えたりもする。 私の場合、永井豪先生の熱烈なファンだった。 まだ前の会社にいたころ、編集を担当していた雑誌がアニメ製作もしていて、 永井先生の「バイオレンスジャック」をアニメ化することになった。 そこで、インタビューの機会が訪れた。 正直、かなり緊張した。 だが、永井先生は、さすがはベテラン。インタビューにも慣れており、 不慣れな上に緊張していた私をリードするようにいろいろ語ってくれた。 (当時、先生はゴラクでジャックを連載中だった) カメラを向ければ、ちゃんとポーズをとってくれる。 (なにも頼まなくても、ジャックナイフを振りかざすポーズをしてくれた) つねに笑顔だ。 その時のインタビューは、当時の雑誌を見つければ、読むことが出来る。 ここでは、記事にはしなかった、こぼれ話をしよう。 私の前の会社は高田馬場にあった。 この駅前には「力士と裸の女性」がくるくる回る噴水が屋上に設置された「名物ラブホテル」がある(今もホテルはあるが、噴水は違うものになってる)。 会社から駅に行く途中,その前を通った私は、永井先生に遭遇した。 (中からで出てきたのではない) びっくりした。 私は、声をかけることも出来ず、ただすれ違った。 このことを先生に「高田馬場で、お見かけしたことがあります」 とだけ伝えた。 先生は、にっこり微笑まれて、 「そういう時は、声をかけてくれていいんですよ」 と言ってくれた。 社交辞令だとは思うが、本当にいい人だ。 だが、さすがにラブホテル前では声はかけられません、先生。 蛇足 高田馬場では、楳図かずお先生もよくお見かけした。 楳図先生にも、声はかけられなかった。 派手な服を着て、踊りながら歩いていらっしゃるからだ。 永井先生の優しさに気をよくした私は、 軽い気持ちでサインをお願いしてしまった。 もちろん、永井先生はイヤな顔一つせずに、色紙にジャックを書いてくださった。 そして私に渡す時、 「あっ、ジャックを描いちゃったけど、他のキャラの方がよかったかな? 聞いてから描けばよかったね」 と言われた。 なんという、やさしさ。 もう先生の後ろに、後光が見えましたよ。 この時、私はサインをもらい、有頂天になった。 だが,今となっては、この時の行動を後悔している。 永井先生とは、仕事でお会いしたのだ。 その現場でファンとしての自分を持ち込むべきではなかった。 (インタビュー自体は、ファンとしての心理がうまく働き、 いろいろ聞くべきことを聞き出せたと思う) この場をおかりして、謝りたい。 「永井先生、当時は失礼しました。 本当にすみません」 私は、これ以来、どんな業界人にも、サインをねだったことはない。 だだ、業界人に会えるのは楽しみにしている。 ファンとしてではなく、同業人として、「プロの話を聞ける」からだ。 業界で働いている人との話は、とても勉強になるのだ。 どうか、この業界を目指している人にも、その時が来たら プロとしての姿勢を持つようにして欲しい。

業界人の特権?「モノをもらう」

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業界にいると、地位(あるのか?)や名誉(ヒットすれば)の他にも、 特権があると思われている。 普通の人が思うのは、 「モノがもらえる」 「有名人に会える」 の2つではないだろうか? 新入社員も、この辺が気になるようで、よく質問してくる。 だが、私はこれらが嫌いだ。 ちゃんと理由がある。 まず今回は「モノがもらえる」の話からしよう。 当然ながら、自分でやった仕事の関係なら、商品見本をもらえる。 (その権利もある) だが、実際には、もらえないことも多い。 さすがに自分の著書などは、見本誌がもらえないことはほとんど無いが、 関連グッズなどになると、もらえることの方が少なくなる。 それも仕方ないことで、 人気作品に係わったとすると、商品がすごい数になる。 係わったスタッフの人数もかなりの数なので、 とてもではないが全員に配ることなど、現実問題として不可能なのだ。 (数をそろえるのが問題ではなく、商品ごとに配る先を把握するのが難しい) このことに対し怒る人もいる。 その怒りは、当然の権利だと思う。 だが、私は怒らないし、催促もしない。 なぜなら、版権元には、商品の分配に力を注ぐより、 もっと別にやってほしい仕事が山のようにあるからだ。 商品をもらうために「やってほしい仕事」が後回しになるのは、 本末転倒と言えるだろう。 これとは別に たまに「仕事をしてないモノ」が、もらえることもある。 たとえばガンダムエースで連載していれば角川書店の別の雑誌を もらえたりするのだ。 ※まったく無関係ではダメだが、「仕事に役立ちそう」ならもらえる。 業界には、これに命をかけている(ように見える)人がいる。 私だって、タダでモノがもらえればうれしい。 だから、その人の気持ちは十分理解出来る。 しかし、催促するようになってはダメだろう。 (それは物乞いと一緒ではないだろうか?) 私は、絶対に催促しない。 まあ、毎月送ってくれる雑誌が来なかったりすると、 「どうなりましたか?」と、聞いてみたくなったりしますけどね。 個人的に自分のお金で買えるモノは、自分で買う。 それが、私のポリシーだ。 最近では、自分で書いた掲載誌も、送られてくるのを待つのがいやで、 本屋で買ってしまう。 (見本誌は、意外と届くのが遅いモノが多い。 あるアニメ誌なんか、発売から二週間ぐらいかかってる。 まあ、これは例外中の例外かもしれないが) これに関係した事件をひとつ紹介しよう。 私と共同作業していた絵描きさんが、担当編集者を通して、 「作品の関連グッズをもらって欲しい」と連絡してきた。 これだけなら、それほど珍しい話ではない。 だが、間に入った編集さん曰く「もらってくれないと仕事しない」 と、言ってるらしいのだ。 この件は、二つの点で私の怒りをかった。 1つは、「仕事をしない」という点。 この人は、自分の仕事をなんだと思っているのだろうか? もし、そんなことで仕事を降りたら二度と仕事をもらえないだろう。 そして、作品を楽しみにしている読者を、そんなに簡単に裏切っていいのか? その人の作品を高く評価していた私は、すごく悲しい気分になった。 もう1つの怒りは、編集者に対してだ。 編集者なら、そうした作家の態度を戒めるべきだろう。 それでも商品を手に入れて上げたいと思うのなら、 なぜ自分で版元に連絡して手に入れようとしないのか? なぜ、同じ作家という立場である私に依頼する? 筋違いも、はなはだしい。 この編集者は、あきらかに「簡単な方法」を選択したのだ。 (作家の気分をよくするのも編集者の仕事だ。 モノでつるのも、ひとつの方法であり、それを否定する気はない。 だが、自分で努力せずに結果だけ得ようとするのは間違ってる) 編集者を通して、絵描きさんへは 「そんな理由で、仕事を降りるならどうぞ。 こちらからお断りです」と伝えてもらった。 ※本当に伝えたかどうかは、不明だ。 結局、その絵描きさんとの仕事は、続いている。 その後、編集者から「今回は自分の対応が間違っていたが、 どうしても、その商品を渡してあげたいので、なんとかならないか?」 と言われた。 ここで無視してしまうと、大人の仕事は成り立たない。 理屈には反するが、私が商品を手に入れることにした。 しかし、この商品は、私も持っていなかった。 そして、上記したように版元の手を煩わせることはしたくなかった。 またやっかいなことに商品は「クレーンゲームの景品」だったので、 版元以外から手に入れる手段は少なかった。 最終的に、私は、その商品を「まんだらけ」で購入し、 絵描きさんへプレゼントすることになった。 ・自分へのメモ 文化祭の話

時間を売るか、結果を売るか?

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この業界は、容易には入れません。 人材を欲している所は、多いのですがね〜。 なかなか仕事として成立するのが難しい業界なのですよ。 そのため、「入る夢を持つ浪人」という人は多いと思います。 「今はバイトをして食いつないでるけど、いずれは大作家になってる!」 という夢を持った人たちですね。 そういう人たちなら、大丈夫だと思うのですが、 仕事のことを「時間を売ってお金にする」という感覚を持っては、ダメです。 バイトを長く続けていると 「時間」=「お金」 という感覚が、どうしても芽生えてくると思います。 ですが、これだと、プロレベルの仕事になりません。 なぜなら、前に書いたとおり、業界の仕事は生活そのものが仕事です。 そこに「時間給」の概念は存在していないのです。 もちろん、この業界にだってバイトはいますし、 時間給だって存在してます。 これらの例外は、単なるお手伝いや、修行期間、 もしくは雇い主との信頼関係が成立したことにより、時間払いしている。 などがありえるでしょう。 オルフェでもバイトを雇うことがあります。 過去には、ゲーム製作のデバッグのために大量にバイトを雇ったことがありました。 この時、バイトは全員時間給でしたが、「時間」=「お金」の感覚の人と、 そうでない人の間には、仕事の出来にかなりの差がありましたね。 「時間」=「お金」という人は、監視の人がいないと、隠れて雑誌を読んでさぼったりします。 彼らは、自分の時間を売っているので、時間さえ拘束されれば、その間は何をしていても、罪悪感が薄いのです。 時間にとらわれない人は、作業による結果を出そうとしてくれます。 実は、お金を出す方は、この「結果」を買いたいのです。 結果を重視する人は、作業のための話もよく聞きますし(そうしないと結果が出せませんから)、より効率化した作業をしようとします。 時間を売ってる人にとって、効率は関係ないので、だらだら仕事をします。 ここで明らかな差が出ます。 オルフェでは、どんな社員も最初はバイトとして雇います。 最低3ヶ月、長いと1年ぐらいバイトとして使って、適正を見ます。 どんな仕事でもそうだと思いますが、最初からすべて出来る人はいません。 「修行」「研修」と呼ぶような期間がどうしても必要になります。 この期間は、結果も出しにくく、雇う側にとっては「赤字覚悟」の雇用です。 この期間をどこまで短く出来るかは、雇用主にとって切実な問題です。 上記したように、バイト感覚の人は、いつまでたってもこの期間が終わりません。 当然、正式採用となる前に業界を去ることになるのです。 蛇足 今の話には、ひとりだけ例外がいます。 当社で修行して、今、シナリオライターをしているAくんです。 彼は、かならず定時に帰る男でした。 しかも、興味がないない分野の仕事を頼むと、まったく成果が上がりませんでした。 とにかくダラダラ時間だけを浪費するのです。 RPGのテストプレイを頼んだら、レベルアップ作業をせずに、 ひたすら全滅だけを一日繰り返してました。 ゲームに興味のない彼にとっては、「テストプレイ」とは、 ただ指定された時間、プレイすればよいと思っていたようです。 「それじゃ、ダメだ」と言っても、ゲームのおもしろさを理解出来てない彼には、 何がダメなのかも分からないようでしたね。 こんなAくんでしたが、好きな分野の作品のシナリオ作成の腕はありました。 そこで、彼には、独立してもらいました。 現在も、業界で働いてます。 ですが、私は彼と一緒に仕事をする気は、ありません。 なにせ興味がないものには、まったく反応がないので、 打ち合わせが成立しないのですよ、彼とは。 ある日などは…… 私「そこはジョジョのパターンで行こう!」 Aくん「なんですか? 僕、漫画読まないんですよ」 別の日は…… 私「それはZでやったからダメだろう」 Aくん「そうなんですか? 僕ファースト以外、見てないんです」 こんな調子でしたから……。 たとえ興味がなくても、「おもしろい」と思う心がなければ、 自分の好きな分野での応用もなくなっていくと思うのですがね〜。 それにしても、どうして彼が、未だに業界で仕事を続けてられているのか、私には不思議でなりません。 すくなくても、オルフェでは、 どんな分野にも興味を持てる、そして、熱中できる。 それ故に、時間を気にせず働ける。 そんな人材が欲しいですね〜。 以下、今後書きたいと思うテーマのメモです。 ・私の修業時代 ・業界を去った人々 ・専門学校について ・新人賞の審査 ・シナリオライターと漫画家の関係 ・編集者と作家 ・データ流失(モラルの話) ・採用時に重視すること

愛の深さ〜ダメな人の見極め

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業界に入りたいと思っている人は、こんな人ではダメです。 何人もの新入社員を見てきて、 「こいつはダメだ」 と最初から分かる人がいます。 それは、どんな人なのか? そのことについて書きたいと思います。 これは比較的簡単に見分けが付きます。 いろんな話をしてみて、 批判的なヤツ、 ダメな部分しか指摘できないヤツ。 こんな人は、採用しても、まったく生き残れません。 考えてみれば、簡単なことなのですが、 先にも書いたとおり、この業界で仕事をするということは、 趣味ではやっていてないほど、その分野が好きでなくてはいけません。 好きな物に対して、批判ばかりしている人間なんていないでしょう。 (いるかもしれませんが、そのレベルでは真に好きとは言えないですし、 仕事にならないということです) これは、悪い点に目をつぶれと言ってるのではありません。 本当に好きな人とは、悪い点も含めて、それを愛しているのです。 この深い愛があれば、イヤな仕事が来ても、その中から楽しみが見つけられます。 そういう人だけが、業界で生き残れるのです。 私は、そう思ってます。 もちろん、例外もいます。 例えばこんな人がいました。 その新入社員は、「映画紹介」の仕事がしたくて会社に入ってきました。 彼は、映画会社への資料集めにも率先して出かけます。 「こいつは物になる」と最初は思いましたが、 結果的に、彼はダメでした。 なぜなら、彼は「映画が好き」なのであって「映画紹介が好き」ではなかったのです。 ですから、映画会社に出かけ、資料を集めは率先しても、 紹介文の書き方など、勉強する気はまったくありませんでした。 彼は、一ヶ月で会社をやめることになりました。 この話には後日談があって、 退社した後も、彼は会社の名前を使って映画会社のまわり 資料をもらったり、試写会に出かけたりしていたようです。 ここまで行くと、「業界人として」というより 人間として「ダメ」と言わざるを得ないでしょう。
「アストレイ」の話が続いたので、別の話を。 今回のテーマは、「どうやったら業界で働けるのか?」です。 これからもこのテーマについては、書いていきたいと思ってます。 最終的には、優秀な人材をオルフェに迎えることが理想ですが、 (まじに、いずれはココで社員募集しますよ) 逆説的に言えば「こんな人は、業界に近寄るな」という資料かもしれません(笑)。 私は、前にいた会社やオルフェで、業界人として、 何度も新人募集の現場に立ち会い、 そして、いろんな新人を採用してきました。 そのほとんどの人に問題があり、やめています。 そんな「失敗例」を紹介することで、 これから業界を目指す人には、同じ失敗をしないようにして欲しいと思います。 まず、第一回は「業界は遊び場ではない」ということです。 「そんなの分かってるよ」と言われそうですが、 分かってない人が、とにかく多いのです。 「遊び」ではないとしても「趣味でお金が稼げれば、うれしい」ぐらいの考えの人は多いと思います。 しかしながら、それでは長続きしません。 趣味ならイヤなことはしなければ良いのですが、 仕事では、「イヤ」などとは言ってられません。 一例をあげます。 前の会社では、雑誌の映画紹介のコーナーの仕事を持ってました。 求人雑誌の広告では「映画紹介記事」という項目も業務内容に入れてました。 これが、失敗でした。 この項目ひとつで、かなりの人数の応募があります。 ですが、やってくる人間は「99パーセント」ダメ人間です。 全員が「タダで、公開前の映画が見られて、お金がもらえる」という甘い考えの人ばかりです。 彼らは、見た映画の魅力を人に伝えるための文章力もなければ、熱意もありません。 見たくない映画は見ませんし、つまらない映画の良い部分を見つける洞察力もありません。(映画紹介は一種の宣伝なのです) さらに言えば、映画紹介の仕事だからと言って、本当に映画を見るとは限らないのですよ。(見ないで書かなくてはならないことも多い) 「映画を月に一本ぐらい見る」という人には、出来ない仕事なのです。 知識も、技量も、忍耐力も必要なのです。 なにせ、趣味ではなく、仕事なのですから。 基本的に普通の人は、趣味でお金を稼ごうなんて考えてはダメです。 趣味を大切にしたいなら、サラリーマンなど趣味と関係ない仕事に就いて、 純粋に続ける方がよっぽど有意義ですよ。 そうしないと、趣味なのに、その分野での犠牲を強いられることになります。 では、どのような人ならオッケーなのか? 答えは、「趣味のレベルを超えてる人」です。 映画紹介の仕事に向いてる人とは、 寝ても覚めても映画のことだけを考えているような人です。 言い換えれば、趣味ではなく生活そのものが、「映画」でなくてはなりません。 これは私が見てきたことですが、 業界で活躍している人は、本当に生活そのものが、仕事と密着しているのです。 歩きながらも、食事しながらも仕事のことを考えてます。 (多くの場合は、意識していないと思いますが、 無意識には考えています) 私もゲームの仕事をしていた時は、 仕事のゲームに疲れると、趣味で買ってきたゲームをする。 というような生活をしてました。 最近でも、外で仲間と食事をしている時、 全員がコーヒーを頼んだのに、一人で紅茶を頼んだ仲間がいて、 その出来事をヒントにしたシーンを、ある小説の中に書きました。 (ごく最近発表したやつです) もちろん、全員が業界に入る前から、そのような生活をおくってるとは思いません。 私だって、業界に入る前は「趣味を仕事にしたい」と考えてました。 問題は「入ってから、意識を変えられるか?」なのかもしれません。 まあ、経験から言えば「ほとんどの人は無理」なのです。 「俺は出来る」、そう言う人は多いです。 社長という立場から言わせてもらうと、 この「出来るようになる人」を見極めるのが難しいのです。 ただ、「ダメだろう」という人は、かなりの確率で見極められます。 次回は、「ダメな人の見極め」について書きます。

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