業界で働く: 2006年2月アーカイブ

夏元先生と私

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ガンダムエースでは「アストレイ」の連載の前後に 夏元先生と組んで作品を発表してます。 「ガンダム戦記」 「宇宙、閃光の果てに…」 「ガンダムレガシー」 以上の三作品です。 最初の「戦記」は、ゲームが原作ですが、 実は私はゲームの方にはノータッチでした。 (もともとストーリーがほとんどないシステムだったので) これをコミック化するというので、 私に声がかかりました。 企画では、連載は3回で、単行本化する時に3話書き足す、 というような話だったと思います。 ですが、1話を掲載した時点で、とても高い人気を獲得し そのまま長期連載となりました。 この作品、キャラはいましたが、物語がなかったため、 コミック用に比較的自由に設定を作ることが出来ました。 最初、私は「ルパン三世」や「スパイ大作戦」、「冒険野郎マクガイバー」 のような作品を考えてました。 毎回、不可能と思える任務を華麗にクリアしていく部隊の話。 そのため、主人公は人殺しを「良し」としない性格にしました。 ※殺しは「華麗な作戦」としては「ランクが低い」からです。 しかし、物語は生き物です。 物語は、だんだんハードになっていき、本格的戦記物の様相を呈してきました。 ※これは、夏元先生の影響も大きい。 そうなってくると、主人公の「人を殺さない兵士」は、完全な ネックとなりました。 この矛盾をどのように物語で消化するか? それが、自然と本作のテーマへと変わりました。 蛇足 ゲームに物語がないため、小説版も、独自の展開をしています。 (これも、私はノータッチ) ぜひ、一読ください。キャラの性格も大きく違うため、 びっくりすること請け合いですよ。 やがて、「戦記」は、新作ゲームのコミックに切り替わることになりました。 「宇宙、閃光の果てに…」です。 このゲームでは、私はシナリオも書いております。 最初から夏元先生によるコミックがきまっていたので、 それも織り込んでゲームも作ってあります。 主人公のフォルドは、ゲーム感覚で戦争にのぞみます。 当初、読者のフォルドに対する反応は、最悪でした。 が、 それは計算済みです。 この主人公は、ある事件をきっかけに生まれ変わります。 その時、それまでの読者の反発が、 そっくり好意に変わるように計算して作ったキャラだったのです。 これは、(自己採点ですが)かなりうまくいったように思います。 本作も好評を得て、外伝「if」まで描かれることになりました。 こちらは、ゲームの中の別ルートを描いた作品です。 蛇足 本作の小説は、新人の方が担当してくれました。 私は、監修という立場で参加し、 小説版はコミック版と同じストーリーになってます。 主人公の変化という心理描写部分では、コミックより上の仕上がりかもしれません。 つづけて「レガシー」の連載が始まります。 この作品は夏元先生とオルフェが組んだ作品では、唯一ゲームが原作になってません。 この作品から、シナリオは中村が担当しています。 時代も一年戦争に限ることなく、展開。 (現在、未完結状態) 第一話のユウの物語(一年戦争から逆襲のシャアまで)は、 ずっとやりたかった物語だったので、かなり満足しております。 ※前記したとおり「戦慄のブルー」は不完全燃焼だったので。 次回は、いよいよ「アストレイ」について

ときた先生と私

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ゲーム「SD英雄伝」をボンボンでコミック化することとなり、 ときた先生と出会うことになりました。 (その前からニアミスはいっぱいしていたのですが…… バンダイ出版とかで) 先生にお会いして一番にお話したのは 「これはSDではなく、新しいガンダムです」 ということです。 ゲームの方も、そのコンセプトで作ってました。 当時のガンダムは、新規のお客さんの開拓が課題になってました。 そこで子供に人気の「SD」のスタイルを使いながら、 リアル・ガンダムの魅力を積み込んだ作品作りを掲げたのです。 ですから、「SD」でありながら自立したロボットではなく、 パイロットが乗り込み、戦うドラマ作りになってます。 また、ガンダムらしい群像劇で、敵味方ともに魅力的なキャラを 配置するなど、リアル・ガンダムをかなり意識して作りました。 ですが結果としては、ゲームはあまり好成績は残せませんでした。 コミックの最初の打ち合わせで、ときた先生には、 ゲームに盛り込めなかったアイデアを たくさんお伝えし、それを組み込んでもらうことが出来ました。 (これは、今でもやってます。 シナリオに組み込めなかったアイデアも伝えると、 生かせる部分を先生が生かしてくれます) 打ち合わせの後、「英雄伝」のコミック用のシナリオ1話を お渡ししました。 (これは、当社の中村が書きました。当時、私のサポートだった人間です。 現在ガンダムエースで「クライマックスU.C.」のシナリオを担当。 こちらも、よろしく) ですが、オルフェでシナリオを書いたのは、この1話のみ。 あとは、ときた先生が打ち合わせの内容と、 ゲームのシナリオから、コミック化してくださいました。 そんな訳で、最初の共同作品では、私はシナリオを 書いてません。 でも、毎月、連載読むのが楽しみでしたね〜。 アストレイのファンには、女子の方も多いのですが、 その人たちにも、お薦めの作品ですよ。 三つの国で分かれて育った兄弟。 その愛憎劇(?)です。 今でも好きな作品の一つですね。

ガンダムコミックと私

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ガンダムのゲームのシナリオを書くようになった私。 今ではガンダムゲームは、コミック化されることが多いですが、 (私が増やしてる張本人という噂もあり) この当時は、めずらしかったと思います。 まあ、オリジナルストーリーのゲームというのが(ほぼ)初めてでしたから、しかたありません。 「戦慄のブルー」には、ありがたいことにコミック化の話がきました。 この時、まだコミックのシナリオを書いたことがなかった私は、 決まっていた連載期間に合わせて、ゲームのシナリオを分割。 それぞれを肉付けしていく手法をとりました。 が、結局、シナリオどおりにコミックは書かれませんでした。 結果として、「戦慄のブルー」は、連載期間を終了しても半分の物語しか消化できませんでした。 後で人づてに知ったのですが、私のシナリオは漫画家さんに渡っていなかったようです。いったい、どんなトラブルがあったのか、今では確認のしようもありませんが……。 ちなみに、この時の漫画家さんも、半分で終わったことで不完全燃焼だったのでしょう。連載終了後、別のアンソロジー系の単行本に後半部分を1話に凝縮して描かれました。(私は、これまた人に教えてもらうまで、描かれたことを知りませんでしたが……) 「ブルー」のコミックは、すごくおもしろい作品になりましたが、上記のように私的には「大満足」という状況とは、少し違うものになりました。 ※たぶん、私のシナリオが使われていたら、もっとつまらなくなっていた可能性が大です。それが、一番の不満だったりします。 次にオリジナルでは、「コロニーの落ちた地で…」のシナリオを担当。 この作品も同様にコミック化されました。 こちらは、確実にシナリオを漫画家さんに渡し(それがあたり前)、 まとめ書きせずに、毎回、読者の反応を見ながら進めていきました。 この作品では、同じ事件を連邦側とジオン側から描き、それぞれ別の漫画家さんが担当しました。 それぞれの漫画家さんに担当してもらう物語を決める時、 A先生は、ジオン。 B先生は、連邦。 と、書きたい作品がきれいに分かれ、とても助かったのですが、いざ書き始めると問題発生。 物語の構造上、どうしても、連載は連邦から始めなくてはならないのに、 連邦好きのB先生のスケジュールが合わないのです。 しかたなく、ジオン好きのA先生に連邦を描いてもらうことに。 続けて、連邦好きのB先生にジオンを描いてもらうことになりました。 スケジュールのためとはいえ、これは今でも悔やまれます。 蛇足ながら…… この作品は、ガンダムコミックには珍しく単行本になってません。 単行本化の話は何度もでているのですが、 実は、B先生の連載時の原稿に修正(というか、書き足し)の必要があるのですが、その作業がなかなか進まないのです。 出せば売れると思うのですがね…… ちなみにB先生は、ガンダムの某カードゲームで人気のイラストレーターでもあります。 そうそう、「ひどい」単行本化の話もありました。 某ガンダム作品の単行本を早く出すために、この作品を巻末に収録して水増ししよう、という案です。 当然、許される訳がありません。 その某ガンダム作品は、私の「アストレイ」のライバル作品だったのですから。 ※先方の出版社は、私がシナリオ書いてることに気づかなかったのでしょうかね? それと、単行本化のおりには、ぜひ印税をお願いします。 実は、上記した二作とも、私はコミックシナリオの代金をいただいてません。 「すべてはゲーム宣伝のための仕事」と当時は納得してやりましたが、 あまりにひどい話でしょ。ねぇ、k社さん。 次回は、いよいよ、ときた先生との出会いを……。

ガンダムと私

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今では仕事の半分以上がガンダム関係です。 高校生の時に、熱中していた物が、こんなに仕事に役立つとは思いませんでした。 本当、勉強なんかよりずっと役立ってます。 (勉強を否定するつもりはありません。 ですが、熱中したことの方が、後々身になる物です) さて、私がガンダムの仕事をはじめる前について書きたいと思います。 きっかけは、前の会社で受けた学研の学習誌のゲーム記事です。 この時の経験から、バンダイ出版の攻略本を引き受けることになりました。 その中に、当然のように「ガンダム」ゲームもあった訳です。 (かなり大量に……当時はSDが主流でした) そして、時間は流れ、私は仲間たちと、オルフェを設立しました。 バンダイ出版とお仕事は続けておりました。 そんなある日、運命の出会いをします。 バンダイのゲーム事業部の方が、オリジナルのガンダムゲームを作ることになり、そのゲームに付属する説明書を「アニメのムックのような作りにしたい」と考えられて、バンダイ出版に人を紹介してくれるように頼んできたのです。 当時、バンダイ出版では、私よりガンダムをに詳しい事務所「A(仮)」がありました。 バンダイ出版の担当は「二カ所、紹介出来るけど、一週間ぐらい締め切りを遅れる事務所と、一ヶ月遅れる事務所、どっちがいい?」と聞きました。 当然ながら、ゲーム事業部の人は、前者を選び、そして私に声がかかりました。 当時の私は、「売り」とよべる物がなかったので、とにかく締め切り厳守を心がけてました。実際、「この人にしか出来ない」というような作家業ではないライターの仕事では、これはかなりの強みになりました。 ※今では、締め切り破りの常習犯になってしまいました。 現在の担当のみなさま、ごめんなさい。 とにかくゲーム事業部から仕事をいただけることになった私でした。 で、いざ参加してみると、ゲームのシナリオがほとんど出来てませんでした。 困ったバンダイの担当と、ゲームの監督が、シナリオライターの家に押しかけてみると、シナリオはまったく進んでいないのにタナの上には、昨日発売されたばかりのガンプラが完成して飾られていたそうです。 その瞬間に、このシナリオライターは、見限られました。 この方は、もともとアニメのシナリオライターだったため、ゲーム用のシナリオの書き方が分からず、手が進まなかった部分もあったようです。 ※この方が作ったプロットは、謎の特殊技術を追うジャーナリストの話でした。 ですが、ゲームはアクション・シューティングだったのです! すぐにでも代わりのシナリオ・ライターが必要でした。 その時、白羽の矢が当たったのが私だったのです。 私が最初に渡したオルフェのパンフレットに記載された「ゲームシナリオの制作」というのが目にとまったのです。 ※前記したとおり、すでにゲームのシナリオをいくつか担当してました。 急遽、説明書からシナリオ担当になった私。 時間がなかったので、前の方が作ったプロットからキャラ名を流用。 物語は、完全オリジナルになりました。 そうして生まれたのが「ブルーディスティニー/戦慄のブルー」です。

業界人になるまで、その2

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その後の私。 最初の会社は、徐々に人を増やしていって、 (減りもしました。社長と私が面接を担当していたので、 この時に「業界ではやっていけない人」の見極めが、かなり出来るようになった) 黒田も入社。(モデラーさんの紹介。ほぼ私と同じ経路ですね) 倉田は、大分遅れてから、社員募集(たしかアルバイトニュースだったと思う)で応募してきて入社。 当時、私たちの仕事は、出版関係がメインでした。 特にゲームの攻略本が多くて、一ヶ月に4冊とか作ってました。 (1冊に一週間しかかけられない……無茶です) バンダイ出版がメインの取り引き相手で、 最初に出た「ポケットザウルス」と「Zガンダム」以外は、すべてこの時の会社と、オルフェで編集しました。 会社は十人も満たない人数でしたが、 なぜか給与が年功序列でした。 (実際に稼いでいる額は、真逆に近い) 「ここに居たら、一生搾取される!」ということで、 私と黒田と倉田で、退社。 当時ゲーム関係の仕事で知り合った長井を加え、有限会社スタジオオルフェを設立しました。 「オルフェ」の意味は、「地獄を見てきた男」という意味です。 (もうひとつ、「女に未練があって、振り返っちゃう」というお茶目な所もあります) 前の会社にいた時に、出版以外にゲームのシナリオの仕事もポロポロ依頼されるようになっていました。 当時、アニメ製作会社の「AIC」はゲームも作っていて、 その関係で、アニメのシナリオも依頼されるようになったのです。 これが、発展していって今のオルフェの事業がある訳です。 蛇足 当時、私と黒田で、「アルフィー」が主題歌を歌い、スクリーミング・マッド・ジョージがラスボスをデザインしたゲームのシナリオも担当しました。 このゲームは「売り」となるマッド・ジョージのモンスターが、ラスボスのため、宣伝で最初からラスボスが公開された、希有な作品です。 蛇足2 倉田とは某水兵服美少女戦士のゲームのシナリオも書きました。 現場で仕切っていた人が、好きかってやった後に「これではダメなので、版権が通るように修正して」と依頼されました。 これだけでも、かなり面倒な仕事なのですが、この仕事には、さらに後日談があって、仕切の人がまた好きかってやってしまい、私と倉田のシナリオを無視して進めてしまいます。 当然、版権元のチェックを通らず、仕事として舞い戻ってきます。 この時には、納期が近づいていた上に、止め絵がアップしており、 パズルを組むようにストーリーを修正したのを覚えてます。

私が業界人になるまで

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最初に私が業界に入る経緯をご紹介。 かなり特殊なので、参考になるかどうかは、分かりませんが。 群馬県出身の私は、高校を卒業して、東京のデザイン系の専門学校を受験しました。 (高校の時から創作系の同人誌を作っていた。 このころは、文筆業ではなく、マンガ家になりたかった) ところが受験は、見事に失敗。 そのまま東京にのこり、来年の受験に備えることに。 ↑完全に親への言い訳です。実際、大学だけは行きたくなかった。 どうしても無駄に思えて……。 東京には、高校時代に同人誌を一緒に作っていた先輩がいて、 (この人は東京で大学生になっていた。ちなみに今は新聞社にいる) この先輩と、毎日、ゲーム三昧の生活してました。 (コンピューターゲームではなく、テーブルトーク) かなり無茶なライフスタイルで、昼から朝まで徹夜で遊ぶ。 そして、朝かえってから午前中だけスーパーでバイト。 (おい、寝てないよ) 先輩は、秋田書店の「マイアニメ」で模型ページのバイトをしていて、 自然と私も手伝うことに。 (もちろん、ガンプラブームの洗礼を受けた世代なので、 趣味で模型を作っていましたが、 まさかそれでお金が貰えるとは思いませんでした) それがきっかけとなって、プロのモデラーさんの手伝いなんかを細々始めることに。 つまり、私の業界への第一歩は「モデラー」という訳です。 蛇足ながら、この時に一人のモデラーさんを通して黒田とも知り合います。 (彼は、この時、中学生プロモデラーでした) 当時のモデラーというのは、常に仕事がある訳じゃなく、 さらにギャラもかなり安かったです。(その手伝いとなると、もうかなり悲惨で) そんな訳で、秋田書店の「マイアニメ」で記事を担当していたライターさんの 手伝いもすることにしました。 引き受けた時は、「原稿回収」、「資料集め」だけという話でしたが、 一週間後には記事をかいてました。 (このライターさんは学研の仕事もしていて、 「大学受験のための参考書の使い方」なんて記事まで書きました。 私、高卒なんですけどね) そのまま記事をどんどん担当するようになり、 ライターさんが事務所を開く時に、正式に社員となりました。 つまり、私が業界に入るきかけは、知人の紹介。 最初は、モデラー、後にライターとなりました。

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