なんか、問い合わせがあったので、フォローしておきます。
「小説の構造」と一緒にしてしまったので、
「日常でも役立つ文章構成」が、わかりにくくなってしまったようで。
例で分かりやすいのは、作品紹介かな?
たぶん、だれでも見たことがあると思うから。
すべてとは言わないが、ほとんどは、以下のようなスタイルだと思う。
(なお、扱っている作品は、(まだ)架空のモノです。
今後発表される作品と類似していたり、微妙に違う部分があっても、
私は知りません)
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●見出し
新アストレイシリーズ開始!
●前振り
大人気シリーズ「ガンダムSEED」の公式外伝「アストレイ」で
新シリーズが開始される。
スタッフには、ときた洸一、千葉智宏に加え、
テレビ本編のスタッフから、大河原邦男が参加する。
●本文
同シリーズは、3年半に渡ってシリーズ化されてきたが、
つい最近各誌の連載がすべて終了した。
だが、ガンダムエース6月26日発売号にて、
新たなスタートを切ることが分かった。
(さらに5月26日号では、予告編を掲載)
今回の物語では、火星からやってきた「火星人」たちを中心に、
テレビ「デスティニー」の時代を、今までとは違う視点から描く。
これまでの「アストレイ」とは、別の独立した作品になり、
タイトルもこれまでとは違うフォーマットになるようだ。
ただ、同一の世界が舞台となるだけに、
セトナの秘密が明かされたり、旧シリーズから引き継がれる部分も少なからずあるようなので、これまでのファンも要チェックだ。
●後振り
現在、同じく「ガンダムSEED」外伝として発表されている
「スターゲイザー」は、DSSDと呼ばれる深宇宙探査組織が登場する。
火星に関係した新アストレイとなんらかの関係がありそうだが……?
テレビシリーズは終了した「ガンダムSEED」だが、これからもまだまだ目が離せない!
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上記の用に構成を3つに分けて考えると、文章を組み立てやすい。
「前振り」は、とにかくキャッチーな内容。
人気作品である「ガンダムSEED」という言葉を出している。
スタッフ名なども効果的。
(自分の名前の効果はさておき、
映画などでは、監督や俳優の名前は、必ず出しておきたいポイントだ)
とにかく「固有名詞」で引きつける。
この「紹介文そのもの」を読ませるための文章を心がける。
「本文」は、言っておきたいメインの内容。
例で言えば、開始日や、
物語の内容ということになる。
「後振り」は、実は「前振り」と同じ考え方で作る。
ただし、こちらは、「前振り」より、「固有名詞」に拘る必要はない。
なぜなら、読者は、すでにこの紹介文を読みはじめてくれているので、
「紹介文を読ませるキャッチーさ」は、もう必要ない。
ここで必要なのは、「紹介している作品(新アストレイ)を読ませる」方だ。
そこで、話題の作品との関連性を臭わせて締めくくっている。
以上、どうだろうか?
町内会の案内から、ラブレター、
会社の企画書まで、応用可能だと思う。
テクニック: 2006年4月アーカイブ
体調崩して中耳炎になってしまいました。
実は、一ヶ月前にも右耳が中耳炎になったばかり。
そっちが直ったと思ったら、今度は左耳。
人間体が基本。
気をつけなくては……。
さて、本題。
小説版アストレイでは、ある構造を意図的に導入している。
(もちろん、例外もある)
まず、最初にテレビ本編の設定を紹介する。
つづけて、それにまつわる細部設定を公開。
(大抵、初公開のもので、私がぬえの森田さんや、シナリオの吉野さんから仕入れたネタだ)
そして、先に公開した設定を生かした物語を展開する。
典型的なのが、5話「ソキスウの挑戦」だろう。
最初に連合のモビルスーツ開発の詳細が語られ、
そこから連合の戦闘用コーディネイターの話に入る。
そして、物語では、ソキウスたちが活躍する。
ちなみに、この構造は「よくある方式」で、私の発明品ではない。
(当たり前ですが)
これは、かなり応用のきくテクニックで、
私は作家ではなくライターの時から使っている。
たとえば映画紹介。
前振りで「あの○○の監督が今度は○○に挑戦!」という感じで、データで興味を引く。
次に前振りをふまえた内容紹介。
最後、「この夏はこれだ!」とか、締めの一文を追加しておけばオッケー。
ライター志望の方はもちろん、
ちょっとした会社内の資料作りでも使えるハズ。
憶えておいて損はない。
私がこの方式で最高傑作だと思っている小説がある。
ジェームス・P・ホーガンの「創造主の掟」。
この小説、ガニメデに生まれていた中世イタリア風ロボット文明と、人間の接触を描いているのだが、
「なぜ中世のようなロボット文明が生まれたか?」が語られる序章が、めちゃくちゃおもしろい。
ただの作業用マシンが、交尾し、宗教を持つ過程が、必然を提示して、説得力を持って語られる。
この部分を読んだら、もう後には引けません。
ただし、後に続く小説はまったくタイプが違い、科学者たちをだます偽超能力者が、
持ち前の「詐欺師技能」を駆使して、ロボット文明との接触事件を乗り越えていく、エンターテーメントに発展していく。
(これまた見事なストーリー展開)
もちろん、これだけ物語のアクロバットをしているので、
ハードSFからは、若干はずれてるし、ご都合主義の展開もある。
それでも、「楽しいでしょ?」という作者の思いが全編からあふれている作品だ。
「かならず救いがある」「科学は最後には幸福をもたらす」「良い人が勝利する」という、ホーガンの作品に共通のテーマ(?)も健在。
このあたりは、「アストレイ」とも通じるかも?
ちなみに、この作品、人気があったようで、12年もたってから、続編「創造主の選択」が書かれてます。
(海外の作品は、作者が続編の構想を持っていないと、次はない。それなのに12年もかかったとはいえ、続編が書かれたのだから、たいした物だ)
余談
そう言えば、ぬえの加藤さんの最新画集を買ったら、
この小説の内容に惚れ込んだことが書かれていた。
採算度外視で、表紙の絵を描いたために、その後、金欠になったそうだ。
私の書いているコミック用のシナリオと、実際に本に掲載されている作品。
これは、まったく同じという訳ではない。
シナリオ作家によっては、「シナリオどおりじゃないと許さない」という人もいるだろう。
だが、私は、「おもしろさ」を優先しているので、
違っていても、おもしろければオッケーだと考える。
というか、どんどん変えて、おもしろくして欲しいと思っている。
ときた先生、戸田先生、夏元先生は、
だいたいストーリーに関しては、100パーセントシナリオのままである。
(ストーリーは、変更した場合、のちのちの構成にも大きく影響するため、めったに変更しない)
セリフやシーンの構成などは、70〜90パーセントぐらいがシナリオどおり、という状況だ。
どちらにしろ、先生たちは、変更の場合には、確認の連絡をくれるので、助かっている。
もし無断で変更してしまった場合、とりかえしがつかなくなる場合があるのだ。
(過去には経験あります)
どんなにおもしろくても、いただいたアイデアが、ガンダム的にまずい場合もあるかので、確認作業は、必須だと言える。
たまに、いただいたアイデアから、さらにこちらでアイデアを膨らませる場合もある。
こうしたアイデアのキャッチボールが出来ると、作品の質が高まる。
さらに原稿があがったあと、完成原稿を見て、セリフを私が変更してしまう場合もある。(より絵にあったセリフい言い回しにする)
こうして、シナリオから出発した作品は、誌面に載るまでに、研ぎ澄まされて、磨かれていく。
結果、シナリオと比較して、100パーセント同じ状態で載ることはない。
だが、それで良いのだ。