以下は、私が外伝スタッフとして参加して感じた「SEED」の設定に関する感想です。
あくまで個人的な感想なので、その点、誤解ないように。
・その1 現在の状況
「SEED」が「ファーストガンダム」と違うのは、作品を取り巻く環境です。
平たく言えば、「昔と今は違う」という点。
視聴者の一部は、昔より「リアリティ」という言葉に敏感です。
大人も視聴するようになったことで、科学設定に詳しい人も多いですし、
それらの情報を簡単に共有できるネット環境も充実してます。
昔なら、百人中一人しか気づかなかった事柄でも、
現在は、半数の五十人がその状況を瞬時に共有できる環境があるのです。
そうした視聴者をお客さんとする場合、
かなり気を遣うことになります。
「いい加減にごまかす」ことは出来ません。
(ファーストの時代なら、説明なんて必要なかった。
実際、ファーストの科学設定のほとんどが後付だ。
若い視聴者からは「ファーストを見習って欲しい」との要望もあるが、
それならば放送終了から五年はまってもらわないと)
時代の要求もあり、「SEED」は、ほとんどの事柄に「説明」を用意しています。
ただし、それらは表に出ることはあまりありません。
その理由は、その2で。
・その2 進化する世界
「SEED」では、テレビシリーズには続編が作られ、映画も予定されています。
そうした世界観では、常に新たな設定が必要となります。
新たな設定は、ドラマが要求するものであり、世界観より大切なものです。
(私はそう思う。
世界観にがんじがらめになって、キャラがうごけないのでは本末転倒だ。
もちろん、世界観を全否定してもいけない)
ここで、「説明」を明らかにしておかなかったことが生きてきます。
「説明」の一部を修正することで、新たな世界観に対応させることも可能になります。
※細部修正で対応できないような新設定は、拒否されるべきだ。
それはまったく別の世界観となってしまう。
細部修正レベルなら、最初から設定を公開しておいて、
あとから「訂正」してもよさそうだが、
それも現実には許されない。
きっと読者の猛批判を浴びるだろう。
これって日本人特有なのかな?
「スタートレック」の設定とか見ると、かなり変更されてる。
だがそれで面白くなるなら、トレッキーは批判しないようだ。
(私がアメリカで直に見てきたわけではないので確証はない。
本当は批判している人も多いのかもしれない)
・その3(余談) 外伝
今にして思うと、外伝でそうした「説明」設定をかなり明らかにしてしまったのは、
本編に縛りを加えることになったかもしれない。
そのつどオープンにする許可を取っていたものの、微妙な所だ。
もちろん、外伝でオープンにしたことで、「SEED」の世界観をより伝えることが出来た功績もあると思う。
このあたり、微妙なバランスの問題なので、なんとも言えない所だ。
・その4 科学の発達
もう1つの問題が、現実の科学技術の発達だ。
よく言われる話だが「十分に発達した科学は魔法と区別が付かない」というアレだ。
「SEED」の仕事に係わって、たまに耳にしたのは、
「科学設定が間違ってる」という批判だ。
だがそうした批判の中には、明らかな古い科学盲信に縛られている人が多いのも事実だ。
前にこのブログでも書いたが、宇宙服無しで宇宙空間に出る話なんかもそれに含まれるだろう。
今思い出したが、アメノミハシラを最初に出したとき、「軌道エレベーターなんて、リアリティがなさすぎる」と批判の手紙を受け取った。
※この時、手紙をくれた人は、2ちゃんの書き込みを読んで「これは抗議すべきだ」と思ったらしい。トホホ。せめて自分で調べてから批判してくれ。
すこしでも科学に興味を持っている人間なら軌道エレベーターの方が、
モビルスーツより、ずっとリアリティがあるモノだって分かると思います。
上記した例はわかりやすいが、
これ以外でも、現実の科学をそのまま取り入れると、
まったく視聴者に理解出来ない設定になる可能性がある。
量子物理学を理解出来ないと分からない作品なんて、うれるハズがない。
そこで、とれる方法は2つ。
あえて科学的事実を無視して、ウソをつくか、
科学的設定に忠実だが、説明は隠しておくか。
「SEED」では、この両者が使い分けられている。
以下つづく