デルタのマーシャンたち

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少し新作についても語りたいと思う。 デルタのマーシャンたちを、私は最初に「共感できる異邦人」である。 と、設定した。 これがどういう意味かと言うと、 外伝というものの本質に関係している。 外伝とポジションについて説明すると…… まず、これまでの「アストレイ」では、 世界観を広げることを中心にしていた。 そこで主人公は、本編とは違うポジションにいる人間ということになった。 だから、軍関係者が少ない。 当然、軍人なら行かないような場所を描くことが可能になる。 今回の「デルタ」では、 世界観を広げるのではなく、 「本質に迫ろう」という試みを考えている。 ただ、一度視聴者の前に公にされ、時間もたった作品(アニメ本編のこと)では、 視聴者が持つイメージはまちまちだろう。 (これは、1つの作品が多くの本質を持っていることに関係する。 言い換えれば、魅力は1つではないということだ) 当然ながら、今回「デルタ」で扱うテーマも、 本編のすべてではなく、1つの要素にスポットを当てる。 その1つの要素を描くため、 今一度本編を「ニュートラルな状態で見る」ようにしたかった。 このための異邦人なのだ。 彼らは、予備知識がない(か、すごく少ない)。 一般的に、読者は、主人公の見ること、感じることに共感して、物語に入り込む。 異邦人であるマーシャンの目を通すことで、 これまで当たり前だと思っていた「常識」に疑問が投げかけられれば良いのだが……。 たとえば、ナチュラルとコーディネイターの対立。 「なぜ争うの? 仲良くすればいいじゃん」 などと口に出来るのは、子供か、無知な異邦人だけだ。 無知である故に、その疑問は本質に近い。 本質に近いが故に、共感も得られる。 ※例にした言葉を実際にマーシャンたちが口にするシーンはありません。 ただの例として分かりやすいモノを選んだだけです。 マーシャンたちが、どんな考え方をして、どんな疑問を持つのか、 という部分は、コミックの方を読んでください。 つづく。

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このページは、千葉智宏が2006年7月18日 08:35に書いたブログ記事です。

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