仕事の思い出2「ごきんじょ冒険隊」

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スーパーファミコンのソフト。 黒田がシナリオ。 私は、雑務(笑)で参加。 なんでもやったな〜。 スタジオオルフェの初期ビッグプロジェクトのひとつ。 ゲーム内容は 4月から9月までの期間、幼稚園児を育成するソフト。 育成とRPGが融合している。 キャラや物語のコンセプトに須藤真澄先生を起用。 最初はお付き合いのあった会社が、 パイオニアのゲーム事業参入に呼ばれて、そのお手伝いで参加し、 (そのゲームでもいろいろやってます) その後、「オルフェでも企画あったらどんどん出して」という 社交辞令(笑)を信じた私が、全社をあげて企画を製作。 かなり苦労した末に、発売まで至った思い出の作品です。 とにかく黒田が須藤先生が好きで、がんばった作品。 全シナリオを黒田ひとりで書いている。 須藤先生は、同作品のコミックも描いた。 ファンからは、「ゲームは、コミックと違いすぎる。 もっと原作を大切にしてください」 と怒られたが、あくまでもゲームが先行した企画だった。 (ゲームでおもしろいモノと、コミックでおもしろいモノは違う。 だから、須藤先生には、自由に書いてもらったのだ) 企画書から気合いが入っていた。 まずキャラや世界観はもちろん、 敵のサンプルデザイン(某SDガンダムのデザイナーさんに発注)、 CGマップのイメージまで作った。 この企画書には、冒頭に倉田の導入コピーがついている。 数行のコピーなのだが、これがすごく良い! 正直、それを読んで「これは絶対、企画が通る」と私は思った。 結果的に、発売したソフトは、時期が悪かった。 すでにスーパーファミコンの時代ではなかったのだ。 当然、セールスも芳しくなかった。 (と、いうか生産数が極端に少ない) 数の少なさもあってか、現在はカルト人気があるようだ。 ネットを検索したら、攻略ホームページが数カ所あり、未だに情報が追加されている。 データ吸い出して解析した人までいるのには、おどろいた。 データ解析でばれてしまっているが、 実は当初の予定では、1年の期間を遊ぶゲームだった。 だが製作期間のおくれから、「半年にするか」「メイン以外の作り込みを減らすか」を迫られた。 黒田と相談した結果、「千葉さんが、判断した方に合わせる」と言われ、 半年にすることにした。 今まで仕事してきて、間違いなくこれが一番苦しかった決断だった。 ただ、まかせて同意してくれた黒田には、感謝だ。 ゲーム製作中にCMも作ろうとした。 アニメーションによるCM。 実現すれば初須藤アニメになる予定だったが、 知り合いのアニメスタジオに見積もりを出してもらったら、 予算より一桁多い額だったので、断念した。 「なんとかテレビアニメと同じぐらいの予算でできないか?」 とお願いしたのだが、「CMでは制作費はこれが相場」と言われ、 絶対にまけてくれなかった。 ちなみにその会社とは、今も付き合いがある(私は縁を切りたい)が、 当社への支払いが、とてつもない期間保留になってます。 早く払ってください。 今思い返すと、「若かったな〜」という感じ。 とにかくガムシャラ。 なにをどうやったらいいか、なんて考える前に突き進んだ。 そして転んだ。 だけど、進んだ。 自分たちの理想と、現実に出来上がるモノのギャップに、とまどう日々。 どんどん容赦なく、なくなっていく日程。 今やったら、もっと色々うまく立ち回れると思う。 売れなかったのは、時代や状況の分析が出来ていなかったことに原因があるし、 発売元の意見で「それはおかしい」と思うものにも反論の手段を持ってなかった。 プログラマーの「そんなの不可能です」に反論する技術的知識もなかった。 それら諸々を今は持っている。 だけど、若さとそれに付随するステキなモノは、だいぶ失ってしまったな〜。

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このページは、千葉智宏が2006年4月23日 04:35に書いたブログ記事です。

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