なぜ少年エースを戸田先生が描くことになったのかは、私もよく知らない。
ある日、ガンダムエース編集部にいったら、編集長が「スクライド」のコミックを読んでいて、「なぜ?」と聞いてみたら、「今度、ガンダムを書いてもらうかもしれない」と言われた。
この時点では、まさか自分が担当するとは夢にも思ってなかった。
後日、少年エースでも「アストレイ」をやるということが決まり、作家を確認したら戸田先生だったのだ。
※コミックを読んでいたのは、ガンダムエースの編集長だったが、このアタリのいきさつはよく分からない。
戸田先生とは、当社の黒田が「スクライド」でご一緒していたが、
私自身は数回挨拶したことがあるだけだった。
あとで分かったことだったが、戸田先生の家は、
私の家から300メートルぐらいのところにあった。
(今は引っ越してしまった。世の中狭いな〜)
さて、少年エース版は、編集部からのオーダーは毎月60〜80ページというものだった。
戸田先生はそれまで週刊で書かれていたので、それぐらい出来るだろう、というのだ。
だが、週刊は週一で締め切りが来るから、可能なのであって、月刊で週刊のように書くのはかなり難しい。
戸田先生が週刊の時にお願いしていたアシスタントも、前の編集部の紹介だったためいなくなっていた。
この状況では、とても無理だ。
(先生も、週刊の作業でかなり疲れているように見えた)
そこで、書きながらページ数を探っていくことになった。
結果として、60など書くことはなかった。
だが、それで良かったと思っている。
前にも書いたが、月刊の適性ページは40だと私は思う。
1話は、シナリオを書いた時点では、アストレイ入手シーンはなかった。
それはガンダムエースで描いてしまったからだ。
だが、編集長から「こちらを途中から始めるのはやめてくれ」と言われ、
ガンダムエースと重なるエピソードを追加することとなった。
このシーン、ガンダムエースと比較すると、違っている所がある。
劾が、ヘルメットを脱がないのだ。
これは、ガンダムエースではロウと劾が登場するが、
少年エースではロウのみ、という縛りのためだ。
単行本を見て頂くとわかるが、この「ロウのみ」というのは後半やめている。
(編集長は劾がお気に入りだったようで、
連載中に何度も「劾を出せ」と言われた)
さて、同じシーンのハズなのに、劾がヘルメットを脱ぐ脱がないがあるのは、整合性が取れていない。
これを私は「ストーリーテラーの法則」であると解釈している。
説明しよう。
たとえば歴史小説。
織田信長が本能寺で死ぬシーンは、何度も、いろんな作家によって描かれた。
だが、本能寺で死ぬのは、どの作品でも同じだが、細部はそれぞれ違う。
作家(ストーリーテラー)の解釈が違うからだ。
同じように、アストレイ入手に劾が立ち会ったのは事実で変えようがない。
だが、その事実を伝え聞いた、ストーリーテラーときたは、劾がヘルメットを脱いだと解釈した。
一方、同じ事実を聞いたストーリーテラー戸田の場合は、脱がなかったと解釈した訳だ。
違う表現になっていても、どちらも嘘を書こうとしているわけではない。
本質として伝えようとしている事実は同一なのだ。
1話に出てくる海賊のポーシャ。
このキャラの名前は、「シンデレラ」の意地悪なお姉さんからとっている。
ちなみに「シンデレラ」のポーシャも元ネタがあって、「ベニスの商人」からとっている。
フィクションから名前をとったフィクションのキャラというのがおもしろかったので、さらにフィクションである「アストレイ」で使ったのだ。
一応、ポーシャは「頭の良い女性」という意味で使われる名前で、このキャラにぴったりのイメージだった。
ポーシャも、予想外に生き残ったキャラで、ときた先生も描いたし、「D」でも名前だけ登場した。まだ元気やっているようだ。