風花が、主人公となる話。
それまで、三人称で進めてきたが、これは一人称で書かれている。
文庫のあとがきにも書いたが、
「風花って、どんな子?」
という問い合わせに答えると同時に、
「女の子の目を通してサーペントテールのメンバーを描いたら、少し変わったモノが書けるかも?」
という2つのテーマがあった。
書いていて大事にしたのは、風花という少女の考え方。
変わっている(子供らしくない)けど、しっかりキャラを確立していること。
それだけを考えた。
私は、子供はみんな変わり者だと思う。
社会の型にはめられていないからだ。
知り合いなどに子供の時の話をきくと、(本人に「変わっていた」という自覚が無くても)大抵、変わったエピソードが聞ける。
風花には、そんな話をふんだんに盛り込んでいる。
その甲斐があってか、「風花に共感した」と言ってくれる人は多い。
個人的にお気に入りなのは、ブルーフレームに乗った風花が、急激なGで吐きそうになった時、「前の食事で何を食べたか?」「みっともないゲロを吐きたくない」と思うところだ。
実は、これには多少フィクションも参考として入っている。
永井豪先生の「いやはや南友」という作品で、こややし少年が拷問(正確には、保健の成績を決める競技)にあっている時、ゲロを吐く。
これがタクアンのしっぽで、すごく恥ずかしいというギャグがある。
この時、私は笑うより恐怖した。
吐くだけでも恥ずかしいのに、その上、ゲロの内容でまで恥はかきたくない。
そう思ったのだ。
その経験が、このシーンに生かされることになった。
もう一つ。
「がんばる」という風花に、劾が「がんばらなくていい、いつもどおりやれ」
というシーンがある。
これは、その当時、あまりに無責任に「がんばって」という言葉が横行し、
私には「無理してでもやれ」と聞こえていたことへの反発だ。
劾は、風花を信じている。だから風花に背伸びさせない。
ありのままで出来ると信じているのだ。
風花は、書いていて、おもしろかった(同時に苦労した)し、筆か勝手に進むほど自由に動いてくれた。
だが、彼女を生かす物語がなかなか作れなかった。
風花が「みんなの窮地を救う話」という基本は決めていたが、
それが可能となる事件が思いつかなかったのだ。
結局、締め切りを少しすぎた日の夜に、ときた先生に電話して相談した。
先生からは、子供たちを乗せた宇宙船がハイジャックされる話など、ご提案いただいた。
結局、いただいた案自体は、書くと長くなるため(段取りが必要)、
採用しなかったが、この時にときた先生と話したことは、
かなり作品に生かされている。
ときた先生は電話の中で、劾という人物について
「話すこと、行動、そのすべてに間違いがない。そう思える人」
と表現された。
それまで意識したことはなかったが、これを聞いて「たしかにそうだ」と感じた。
これは、この3話の背骨となる部分で、
自分の価値を探す風花を認める者として、劾が生きてくることになった。
原稿をアップした後にも、ときた先生の所に送り、チェックしていただいた。
この時には、ぜひ女性の意見も聞きたかったので、奥様にも見てもらった。
「風花、かわいいと思います」という意見をもらい、かなり安堵したのを憶えている。
(さらに、こちらが見過ごしていたミスをいろいろと指摘して頂いた)
※女性では、私の妻にも見てもらった。
余談になるが、この作品は、入校後、担当から電話がはいって
「おもしろかったです」
と言われた唯一の作品でもある。
この原稿は、入稿後にも、印刷されるまでに少し修正している。
「劾が、なぜ風花を信じるのか?」
という部分で「ロレッタの娘だから、その血(才能)を引いているから信じている」
という部分を否定する文章を追加している。
あくまでも、劾は、風花個人を信じているのだ。
それと、大気圏ギリギリで行われているドラマであることを、
もっと強調するように編集部に指摘され、その部分も修正している。
余談
今回読み返してみて、「SFって難しい」と思ったことがある。
実は風花が音楽のディスクについて触れる部分がある。
当時、書くときには「CDはなくなっていも、やはりディスクを使ってるだろう」と思って、そのようにした。
だが、あれから数年。もう時代は「音楽はネットワークで、小型再生機にダウンロードする」時代になってしまった。
(まだディスクが絶滅した訳ではないが、この流れは逆行することはなさそうだ)
まさか、シリーズが終わる前に、現実に追い抜かれるとは……。