※今回の話は、製品版のみの話です。
ネット配信や、レンタル版ではありません。
「スターゲイザー」をあらためて見る。
打ち合わせで、西澤監督が言われていた「演出論」が随所に見られる。
監督が特に拘っていたのは、
「ユニスウセブンによる被害」、
「ファントムペインによる洗脳教育」、
「子供を使うテロリスト」
などなど。
夕方6時のテレビには、向かないが、
現在の戦争を考えた時に避けては通れない部分の演出だ。
もちろん、テレビ本編のSEEDも、
それらがまったくなかった訳ではない。
それどころか(時間帯を考慮して見た場合)過度なまでに
入っていたとも言えるだろう。
ただ、「残酷描写」とい単純な言葉でくくった時には同じものでも、
両者の演出意図が大きく違うのは、見れば分かると思う。
そして、製品版DVDにのみ特別収録された「ASTRAY」。
「スターゲイザー」のあとにこれを見て、当時、谷田部監督が「ASTRAY」のアニメ化を強く熱望してくれた理由を思い出した。
「人が死なないガンダムにしたい」
監督は、そこに拘っていた。
「ASTRAY」は、模型の宣伝用のアニメだ。
もっとも重要なのは、店頭でこのアニメを見た人が、すぐにお店でプラモデルを買いたくなること。
そのためのかっこよさが必要で、人が死ぬことは必要ない。
当時の企画書のキャッチフレーズはこうだ。
「オレはジャンク屋だ。人殺しはしない」
※このセリフは、作中でも挿入した。
人が死ぬアニメと死なないアニメ。
どちらが正しいということはない。
あるとすれば、「演出として成功しているか、失敗しているか」
もしくは「作品の持つ役割上、その人殺しは必要か、不要か」
というだけのことだ。
奇しくも「人が死ぬ」ということに関して、
両極端の作品が1枚のディテスクに収められたことで、
少し考え深くなった。
追伸
この文章は、どちらの作品についても批判していない。
これを読んだ後、みなさんの中で、改めて作品をみる機会があったら、
「千葉はそんなこと言ってたな」
と思い出して、新たな視点をもって作品を見て欲しい。
「好み」はたぶんにあるだろうが、そうやって製作者側の考えを知ってから作品を見ると、違ったものが見えるはずだ。
そうした発見は、(もしあなたが業界人を目指すなら)新たな作品作りに役立つと思う。